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2008年 08月 27日
この夏、北海道旅行の往路に東北を少し訪ねた。
以前から行ってみたいと思っていた花巻。 宮沢賢治のふるさとであり、彼の作品の舞台“イーハトーブ”に行くことと、そこを流れる北上川をカヌーで下ってみるという目的があった とくに、賢治が名付けたといわれる「イギリス海岸」という名前を持った北上河畔の一角は、ぜひ見ておきたい場所でもあった。 僕は自分の自宅近くを流れる烏川の岸のある場所を、賢治の「イギリス海岸」にあやかって同じ名前をつけて時折スケッチしていた。 賢治が実際には行ったことのないイギリスの風景に重ねて自分のふるさとの川岸に外国の呼び名を付けたのと同じように、僕も見たこともない場所のイメージを自分のテリトリーに重ねるという行為なのでそれはそれで許されてもいいはずだと思っていた。 それで今回、実際に元祖を見ておきたいと思ったし、できればカヌーで北上川を下って、イギリス海岸に上陸してみたいと思った。 川下り前日、実際に目にしたイギリス海岸はごく普通の川岸で、目印になる案内板と小さなモニュメントがなければここが特別の場所だとは思えないようなよくある河原の風景であった。 支流の猿ヶ石川が遠野を通って北上山地を横切って左岸に合流した対岸に泥岩層の岩盤の一帯があり、それが水中から現れるとイギリス海岸の景色となる。 減水時でないとその白い泥岩層は水上に現れない。残念ながら僕らが行った時にはおそらく水中にあるであろう泥岩層に沿ってウェーブが見られるだけだった。 賢治は、その白い泥岩の上を歩くとまるでイギリスあたりの白亜の海岸を歩いているようだという理由でそう名付けたのだそうだ。 さて、今回カヌーで下るコースとして、僕が定めたのは賢治の“家”である“羅須地人協会”の建っている東雲橋から“イギリス海岸”までの約10キロ弱。 川は市街地の北東側、花巻空港と田園の広がる一帯を包み込むかたちで大きく右に蛇行しながら半円を描くように流れる。途中、花巻大橋・釜石自動車道・花巻鉄橋・銀河大橋の四つの橋をくぐり、花巻の町に接近したところでイギリス海岸へと至る。 水の上に出ると川はさすが東北有数の大河で、約30m以上もある広い川幅でゆったりと流れる。 水の色はやや茶緑色に濁っている。それでも、いくつかの都市と、農業地帯を通過してきているわりには爽快感を感じる。 夏雲を浮かべた晴天。水面すれすれを横切るカワセミを何度か見たし、岸辺はのどかな田園風景でなるほどこれがイーハトーブかと思わせるに充分だった。 まるで銀河を旅するジョバンニとカムパネルラの気分で、僕たちを乗せた赤いカヌーはイーハトーブを下った。 花巻鉄橋の下流では1メートルほどのウェーブがあり、僕達のカヌーは空に向かって時おり大きくバウをジャンプさせた。 泥岩層の上にできたウェーブをジャブジャブと超えるとき、水中の白い岩盤がすぐそこに見えた。 いよいよゴールのイギリス海岸ではちょうど夏休みの子供達が20人くらい、数人の大人に引率されて水遊びをしていた。 ライフジャケットをつけて船着場の桟橋から川に入って、水しぶきと歓声を上げていた。 彼らに迎えられるように僕達のカヌーも船着場の桟橋のエディーに入った。 上陸後、僕はすぐに昨日のうちに置いてあった自転車でスタート地点まで車を取りに行く。 そのあいだ、ミエさんは犬たちとイギリス海岸で待っている。 僕が車で戻ってカヌーを車の屋根に乗せたりしている間もずっと、ミエさんはそこに居た色々な人と話をしている。 気が付けばイギリス海岸には様々な人たちが居て、みんな川に向かって顔を向けて、なにやらそれぞれ何かをしていた。 ここは人が集う場所のようだ。 僕もカヌーの片づけを大方終えて、ミエさんの居るところへ行った。 ミエさんの話し相手である初老のおじさん。ボランティアで清掃活動をしているというその人の話を聞いた。 「・・・賢治はなんでここをイギリス海岸と名付けたと思いますか?一般的にはイギリスの風景と似ているからだということになっていますが、私はそれだけではないと思っているんですよ・・・。 ・・・当時でも、近くの女学校の生徒達は夏には臨海学校へ行っていたそうなんですね。 でも、賢治の教えていた農学校の生徒達はなかなか海なんて見られなかった・・・。 きっと、そんな自分の生徒達に、もちろん自分に対しても、ここでも海に行ったように楽しめると感じてもらいたいという気持ちをこめて、海の、しかもイギリスの海岸という名前を付けたんではないでしょうかね・・・。」 作業服姿で清掃用具を杖にして、川の流れを見つめて話すその人の横顔がとても知的で崇高なものに感じた。 思いがけずいい話を聞かせてもらった。 羅須地人協会を設立した賢治が目指したもの。 農民の生活の中に芸術を楽しむ心を根付かせる事。辛い仕事でもそれを楽しめる心を築く事。 この夏、僕が訪ねた花巻はまぎれもなく賢治の夢見たイーハトーブそのままに、人々の中に彼の精神が息づいていると感じた。
by kevipa33
| 2008-08-27 00:12
| 旅の空から
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