カテゴリ
以前の記事
2014年 11月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2012年 03月 2012年 01月 2011年 11月 2011年 08月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 11月 2010年 08月 2010年 06月 2010年 05月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 06月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2012年 03月 23日
お彼岸を絡めて休みを調整して被災地を旅してきました。
石巻~女川~雄勝~大川小学校~南三陸町~気仙沼~陸前高田~大船渡、と海岸沿いの道を車を走らせた。 石巻以外はこれまで頻繁にニュースで見聞きする事はあっても実際に行ったのは初めての場所だった。 石巻のように、津波によって破壊されたエリアと直接の被災は免れたエリアが混在する街では、壊れた部分を補修したり新しい家屋を作ったりして街の機能が回復してゆく様がめざましく、今「復興」という言葉を実感としてリアルに見ることができる。 けれども、女川、雄勝、南三陸、陸前高田・・・被害が「壊滅」という言葉で伝えられていた街々では、その場所には未だ人が生活を営む気配は無い。 かつて街が在った場所は、果てしなく広がる何も無い空間。 すでに大方の瓦礫は片付けられて、今はだだっ広い造成地のような風景がどこまでも続いている。 思えばこの一年のあいだに「壊滅状態」という四字熟語を何度も何度も耳にした。 言葉の意味は分かったとしても、具体的にどういうことなのか? は想像するしかなかった。 三陸地方特有のリアス式海岸の入り組んだ入り江に巨大な津波が押し寄せて街を飲み込んだ。 10mともそれ以上ともいわれている数字で表される高さの表示には客観性はあったとしても、実感として状況を理解するのはいくら想像力を駆使しても不可能だと思えてならない。 繰り返し現れる入り江の向こうに、見下ろすと、かつて立体的な人の営みがあった街の痕跡が今は平面となって在る。・・・と言うか、あるはずの立体の形が 無い。 現地に立って見渡すと、入り江の形状と津波によって破壊された痕跡から、「あぁ、津波はここまで来たのか・・・」と3.11当日の状況をなんとなく想像する事はできるけれど、どうも実感は湧かない。 今は穏やかな海面から津波到達の場所までの水平面全体の上昇と、その空間を満たしたであろう海水の量感・・・?・・・しかもそれがそこにあったものをすべて巻き込みかなりのスピードで動いて行った・・・? 現実の空間を目の前にしても、容易に理解できる情景ではないのだ。 ************* それは、神の悪戯でも凄惨な地獄でもなく、 静謐で尊く、荘厳な光景であった。 僕は自然の力に畏怖し、 畏敬を持って凝視するしかなった。 ************* これは篠山紀信氏が写真集「ATOKATA」に寄せた自身のコメント。 「見る」ということが「視る」あるいは「観る」となって、その行為が深まるほど、対象は純度を増してゆく。 僕がもし、芸術家の端くれとしてできることがあるとすれば、目の前の物をもう知っているつもりで見るだけではなく、もっとよく視て、 もっともっとよく観ることにつきるのかもしれない。 陸前高田の町の外れに、なぜか一本残った松の木があった。 今はすでにランドマークとして有名?になっている一本の木を見て、自然は非情でもやっぱりそれなりに意志を持っていて、人はその意志に導かれて街を築くはずだと思わずにいられなかった。 たとえば荒野を開拓する人の一団が、地平線に見つけた一本の木を目印に居場所を決めて、そこに街を築いてゆく・・・。 そんなイメージが 折れ曲がっても立っている松の木に重なって見えた。
by kevipa33
| 2012-03-23 15:59
| 旅の空から
|
ファン申請 |
||